随筆「薄夜」
人間
私は、コレについて、こう考えている。小学生のときにできたものだが七十数才のイマもかわらない。うちの家では夫婦で人の死をみせる。妻はこのあいだも手首と首筋を刃物で切り死のうとした。私の知らない帯広時代にもやっている。妻になってくれた東京で、これ以外にも死の危険があった。眠りながらあの世に旅立つことや死ぬかも知れない気絶の転倒などもやっている。私のほうは去年心筋梗塞で死ぬところだった。妻に、運ばれていく救急車のなかで別れを言った。
私はこんなことなどなんとも思っていない。人に寿命や定めがあることなど当たり前である。だが、寿命や運命でもないのに人が死んでいく。それを受け入れることはできない。
東北津波のときに発生源と陸地のあいだにGPSの波高観測機を設置していたらしい。それが故障していたと言ってるらしい。こんなバカに殺されたのではたまらん。ウクライナの件で殺戮を防げる時間は多分にあった。太平洋戦争もそこに至るまで長い年月があったのに最後にご丁寧にも原子爆弾まで投下している。
そんな殺され方があるのが人間社会だと小学生のときに知っていた。
うちでは終わりに向け静かな時間がすぎていく。妻と二人だけだからこうなる。こういった環境があるのに感謝している。心身は楽でないがこれは儀式のようなものであろう。
バカに殺され人生を邪魔されずに来たことは幸運であった。こんな無責任なキチガイがいることは小学生から知っており、警戒もしながらの人生であったが、抵抗することも避けるのも不可能だったと思う。ここまで生きれたのは、ただ幸運であっただけだ。
しかし、バカに殺された人たちは不運であったとは考えてない。文章も書き本を読みバカの研究もやってきた。