大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

運命と寿命

人はこの二つでしか死ねない。どちらならあきらめがつくのか知らない。見送られるものが、何か、死んでいく者にはわからない。生きているうちになにもかも消えていく。
心筋梗塞で死にかけこのあいだ消えようとするそれが、短い時間をくれ、月の海の波打ち際の浅瀬を歩かせてくれた。生きてそれを思い起こさせた。こんど死にかけるときなんの光景をみせてくれるのかわからない。
七十をすぎ、寿命を知り、死ぬために生きているとおもう。この人生は罪ばかりの後悔しかないが謝罪はどこにも届かない。誇るものもなく慰めるものもない毎日である。忘れるしかないだろう。
思うに、生きている物体が一つ消えていくだけである。


生きて何かをしようとする人たちが死んでいく。東北の津波は多くの運命に残酷だった。いまウクライナでもそうである。


人は生きて何をしようとするのか、それを深く考えさせられる。私は、人の運命を残酷に変えたこともあろう。それを奪いはしなかったが不幸にしたかもしれない。そう振り返ることもある。そんなために生まれてきたならこの命は不要だったろう。
害にしかならない物体、自然界では許されるが、人間世界ではこの地上に現れてはいけないものに思う。それが作る未来など無くてもいい。

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