随筆「薄夜」
おだやかな日々
夜7時には眠りたいので夕方には布団に横になる。うまくいくと午前2時頃には起きられる。ここからは次に眠る夜7時までは15時間くらいある。それが私の一日である。15時間も起きているのだから人並みな暮らしであろう。
うちの妻には、この、時間的な一日というのがない。いつ眠るのかぜんぜん判らない。昼でも夜でも眠り、どれくらいの時間があれば足りるのかそんなの関係ないらしい。妻の睡眠時間は短くそれを積み重ねる。一日は24時間なのだがそこで合計なん時間眠っているのかそれも判らない。眠りにつく要因がなにかもそうである。
私などは夜7時近くになると頭痛やめまいで布団に横になるしかなくなる。起きている事の限界がそんなものなのだろう。
妻は起きている最中にも絶えず頭痛やめまいに見舞われる。これに疲れ、起きているのが苦痛となり、その場に倒れ込むように寝ている。死んでいるのかと思いいつもそれの確認をする。すごい生き方であり生きているのが不思議である。
私もこれに近いことになっている。横になっているのとちがい、起きてトイレやなにかの用事で立つと頭はいつもふらふらしている。倒れそうにもなる。
(おい、こんど倒れたら、終わりだな)
:今朝、妻に言った。この、ふらふらも去年2回たおれた後遺症らしく、つぎは最後のような気がしている。
(・・・・・・)
トイレの便器に座り妻に声をかけたが、なにやら、となりの部屋で返事していたが何言っているのかわからない。だが気にもならない。私の言っていることもどうでもいいから返事もこんなものである。
日々は、おだやかである。生きることの大変さから離れるとこうなる。この夫婦は死ぬ寸前も経験しているから、あれは、ただ静かなだけの何も無い出来事のようだった。
生きる情熱をあまり強く燃やさないから、まあ、そんなのがほとんど無いから、この日々はおだやかなのだと思う。