大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

           歪んだ球体
人類はどこへ向かっているのか、そんな国際会議をしたことはない。ウクライナの件でやっとマスコミも終末戦争などと口に出し始めた。それがやれる武器は昭和40年末期にはあった。大戦が終わりはしゃいでいた人類に頭から水を浴びせる悲惨な言動は、なぜか、なんの都合か、政策か、表面にはあらわれなかった。
いまウクライナの件で言わざるをえなくなってきた。数十年間もわざと触れなかった人間の愚かさなのだが、突如、世界の人間たちはこれを知った。全人類はいつでも核兵器で抹殺できると言うことだ。現実はこうなのだが、これは、どこの政府にも隠しようのないことで、それらが特別に何かしたのではない。


核兵器があることを知らない人間は世界にほとんどいないだろう。それがどんな威力で何をするのか、そこまで考える人たちは少ないかも知れないが、ウクライナの件でマスコミたちが報道する内容で人類絶滅というのを知ったものも多いにちがいない。いま生活している場所がなくなるとは人ごとではなくなる。そんな武器を製造し保有する政府をつくったおぼえもないのに知らぬまにできていた。そんなところだろう。


ウクライナの件で核抑止力というのは寝言のようになっている。ロシアが使えば米国はどうなる、こうなっている。ロシアはそんなことはやらんだろうという、この確信は米国にない。まさかの不安がそこにある。そう頭をいためている者に抑止力などあるはずもない。また核不使用などのバカげた条約はない。そんなのがあれは持っている意味がない。


米ロで勝手にそんなことをやっているが、中国は、どう核を使うかわからなくなっているだろう。そこの核がなくても世界は終わる。こんなときのために核保有したのではないのにあっけにとられているにちがいない。


人類はこういった世界をつくってきた。いまから修正できるだろうか。これから核武装をしていこうというバカもいる。それがあれば米国の侵攻もないと信じてやっている。
ところが、米ロという昔からの核大国がいま直接対峙している。世界を終わらせるのはそこにまかせておけばよい。また、あんたとこの核は花火にもならん。世界が核の炎につつまれるのに線香花火などいらない。それより、こんな人類はどうすればまともになるのか私にはわからない。

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