大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

奇形生物

サミットをやった広島、そこは、初めて核兵器が使われた場所である。これを政治家はたびたび売り物にする。今回も日本の総理大臣がそうした。なにか賑やかな話題がなければ存在感がかすむからだろう。ついでに核のない世界というのも付け加えた。


原爆が投下された北側に帝国陸軍が使っていた練兵場やその他施設があった。爆心地から数百メートルしか離れてないので爆風で地面だけが残った。そこに原爆で焼け出された人間たちがむれた。ようするに原爆スラムである。子供の私はそこで育った。母親は放射能のせいか発癌して死んだ。


私に原水爆禁止とか廃絶とかの理念はこの人生になかった。それと、あれが非人道的武器だとの概念もない。作品のなかでもそう書いている。ただ目の前にあった現実でしかない。人間と言う奇形生物なら核兵器を作るし使用もする。私の作品はそれを言うために書いている。人間を奇形生物だと書いたのは私が世界初かもしれない。


広島には核廃絶をうたう団体が育った。その人たちを笑うわけではないが、保有する核兵器は昭和40年末頃だったか人類を何百回も殺せるものになった。奇形生物だからこんなことになったと私はそう思っている。


前に米大統領が欧州とかで核のない世界と演説している。こんどは、この定番の文句を日本の総理が広島でやった。できもしない現実を政治家たちが口に出すのは笑うしかない。しかし、このくだらんパフォーマンスをやっているうちに人類は絶滅の瀬戸際に立つようになった。ロシアのプーチンという男は核のない世界どころか核戦争をやってもいいと言っている。まさに、あれも奇形生物の一員であろう。


だが、お母さんたちが子供を大事に育てているこの姿は奇形生物のそれではない。嘘もない光輝くような美しい愛情である。その日常も核で溶かすのか、とくに政治家たちはそうだが人間は生きているうちに欲にまみれ醜い奇形になっていく。人間社会を形成するのに醜い指導者が必要らしいが、私は、まさに、それこそ、この生物を奇形と断定する確信になっている。

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