大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

         平和研究家
人間たちが知ってもどうにもならん疑問はある。だが知らなければ歴史は少人数の知っている者たちにより動いていく。
人間の歴史は軍事力により形を変え作くられていく。ここの書き出しでそのことを言っている。しかし、平和な時代でも歴史はつくられる。
どんな人間でも平和というのは理解できる。だが戦争や内乱に明け暮れる国民に平和はみえない。それだけでなく、なんで戦争をやっているのかこれも理解できない。そんなものをやる理由が国民全員にはないから判らないのも当然であろう。戦争をやるかやらんか国民投票でもすれば、賛成過半数で何百万何千万人が死のうがある程度は納得できるだろう。


平和というのは理屈が簡単である。争ってないその時間だけが平和という。
政治家が何を考えているのか知らんが、学者たちは戦争の原因というのを研究する。悲劇を繰り返さないようにと願いをこめそれをする。


ウクライナの問題で戦争研究者たちがマスコミに登場しにぎやかである。だが、そこに平和研究家というのが出てこない。戦争とか内乱は平和時にそれへの道ができていくのに平和というのを深く研究しなければならない。国民にしても今やっている暮らしが戦争につながらないかと勉強したほうがいい。
そんな勉強なら学者でなくてもやれる。また平和なときになぜ戦争の準備をしなくてはならないのか、それは誰のためのものなのか、その犯人は、こういった発見も平和時にはそうむつかしくない。


軍事力で造られた歴史など、ただ賑やかなだけであまり興味はない。それと、平和は戦争からできたものではない。戦争というものは次のそれをうむだけのものである。そんなのは歴史をみたらわかる。
わたしは今度生まれたら平和研究家でもやってみたいと思う。

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