随筆「薄夜」
花畑け
これも書いておこう。私の心が妻に撥ね返えされている。起きてなんらかの意思をみせるときも反応がないことがある。これは七年目になる。それは妻になる前、いつからやっていることなのかわからない。生まれ付きと推測するときもあるが、妻になる前から罹っている医者に聞いてもなんら返答をしなかった。
このすべてを知って妻になってもらった。なんとかなるとは思ってもいなかった。運命は流れにまかそうと始めた夫婦生活であった。もうだめかなと救急車に乗せたときも運命にゆだねた。医学でどうにもならんと知っているからそうした。
妻は素敵な女性である。心はときおりそこに在るが無いときのほうが八割くらいある。その八割の時、様子は一人暮らしの女性がやっていることと変わらない。声をかけると反発するときもある。だからそれはしない。
こうなっているときの妻の心は一番気に入った世界にいる、のだろうと、そう思い邪魔をしないようにしている。寝るとこを二つにしたのはそのためもある。
こうした暮らしをやっているが妻の心は聞けない。質問しても言葉は返ってこない。それに嫌がるようにも見える。だから不自由や寂しさはないかと聞くこともできない。
この先を書けばいろいろ見たことがない知らない世界もあるが、私の妻は、運命の花畑で遊んでいるのだとそう思うようにしている。妻は不幸なのかも知れないがわからない。
心在るときの妻は頭のいい世界一美しい人である。