大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

     生活と生存  そのニ
追い詰められているのか、このままでは住居もなくなり夫婦の命もあぶない。妻は6月5日にも生命の危険で救急車で病院に運ばれている。私も去年心筋梗塞で死にかけている。卒中の後遺症なのか歩行も危険である。
しかし、二人ともそれに敏感な生き方をしてない。二人でウクライナの惨劇ニュースをよく観る。あそこでは住まいもなく命も無残に散らされることもある。私らのように老人でなく子供たちの人生がいとも簡単に奪われている。ネオナチとかNATOからの脅威などと能書きを一人前にたれるが子供を殺してまでの正論など片腹痛いわい。夫婦でこれを観るが憤怒と憎悪で吐き気をもよおす。
人間は、嘘と、自分さへ良ければ残忍にもなれる、こうした奇形生物なのである。わたしら夫婦もこれの攻撃にさらされているがあんまり気にしてない。自分たちの生きている社会的な価値もみえなくなっている。そんな命がどうなろうと妻も気にしてない。このあいだも救急車のなかで死体のようになったが、それを私が話すが興味のない素振りをみせる。救急隊員は死んだかと思いあわてていたが、それをながめている私は静かであった。妻との別れはとうに済ませているからだ。
こんな二人が道路に放り出されるかもしれない。これも、そんなに気にしてない。それにあわてて抗する気力がわかない。
ただ、大家とか仲介屋のくだらん能書きには殺意のようなのがわいてくる。生きる価値がみえなくなるというのと本能は別なものであろう。それはやらないが相手はしてやる。


能書き  そのニ・・・・・テレビの音がうるさいから二階の入居者が出て行った。なんの理由で移転したのか知らないが、そいつから公判廷で証言させればいいだろう。また、大家からの手紙にこれを解決するように再三申し入れだが私はきかなかったと、こんなご丁寧な作り話も書いてある。二階で床に箸を落としても下に聞こえるボロアパートなのに、それをなんとかせいと文句つければよかったかな。
話はかわるが、音の問題で殺人事件が起きるこれはよくあることである。うちの前にもそれを起こすかもしれない精神異常者が住んでいる。ここに引っ越したときから玄関の外から大きな発狂がよく聞こえていた。酔っ払いがどこかを訪ねて来てやっているのだろうかと思っていたがそうではなかった。そのキチガイは午前3時ころ私にむけ発狂した。こいつは前の風呂場の窓から顔をみせた。発狂の正体はこれだと知った。
「いまの声はおまえか」
「いや、あんたにむけ、やったのではない」
「では、なんなら」
「隣の婆アがうるさい」
「そいつはどこにいる」


            続く

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