大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

           傍観者
ロシアが他人の土地で正規軍を動かし破壊と殺戮をするその理屈がわからん。これを戦争犯罪だと言う西側諸国もよくわからん。他人の土地へ勝手に侵攻し人を殺せば不法侵入と殺人である。なにも、わざわざハーグで裁判などする必要もない。
ウクライナはその犯人と戦っている。こんなの戦争でもなんでもない。また、善悪は明確であるから裁きもいらない。おかしいのはウクライナをだれも助けようとしないそれである


戦争には交戦国というのがある。第二次のそれは地球規模になった。中立とか非交戦とかもあったが地球のほとんどが参戦した。
いまそうならないのが不思議である。どこかの国に強盗殺人が起きているのにだれも助けようとしない、あるいは、見て見ぬふりをする。戦争に勝手な理屈はあるがウクライナにそれはない。こんなのを放置しておけば人間というのが信じられなくなる。


助けに行き軍事衝突が起きれば国対国のそれになるから戦争と呼んでもとおる。これを避けるために行かないというのは人間に正義がなくなることになる。そんなことになれば、正義のない社会などまともに存在できるわけがない。


経済封鎖とか武器供与をやっているが、第二次のときそれは参戦ということだった。戦地から遠くはなれた国家たちが非倫理的なそれへ明確に意思表示したのである。枢軸国に宣戦布告というのをやった国もある。強盗殺人犯に世界が宣戦布告をしても当たり前だとおもう。


この犯人が核武装しているのは厄介であるが、人間はこれにも見て見ぬふりをしてきた。その横着さが平和というのを手放したように思う。
こうなると、もう人間は何事も解決できない傍観者、そんな生き方しかできないだろうな。

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