大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

          冷徹
私には最初の妻とのあいだに一人だけ娘がいる。妻のほうは一回だけの結婚で息子が一人できている。われわれはその子供たちに長い年月会っていない。深い事情もなく、この親子たちはそうなっている。子供たちも親を探し会おうともしない。憎いとか不必要だからとの感情もなくこうなっている。双方に肉親の情愛が存在してないからであろう。そして、こんな肉親の情愛に疑問はもっていない。生きる多忙さから来る現象だと思い、現代社会には多くありそうである。


なぜ、こんなにも人生は忙しいのだろうか。個人としてため息がでる。だが、人間社会や国家の忙しさはこんなものでない。いま光ケーブルなどは光速で管を飛ぶものがあり、そこに活動の全てをゆだねている。
時は金なりという古い言葉もあるが、そのこととはまったく違う人間の脳とか社会がここにある。だが、光の速さでなぜ物を飛ばさなくてはならないのかそれの正解などある筈もない。


競争社会といわれ久しいが光速で物を飛ばし人より多くのものを得れたのだろうか。そのせいで失くした物はないのであろうか。と、考えるのも無駄に思える。
人間にこの生き方はすでに身についている。そこにいるとなぜか安心できる。都会の舗道をトボトボと歩いていたのではその先には脱落者の絶望感しかない。
音速の旅客機で世界を飛び回っているのとは大違いである。これは資本主義の勝者がやっていることだが無職になった者には縁の無いものだ。


私も妻も脳から肉親の情愛というのが消えたようだがこれは勝者になるためそうしたのではない。世間の忙しさに巻き込まれ脳にある余分な物がなくなったのだろう。脳の機能の一部が消えたのだが違和感はなさそうである。
でも、妻も私も人間関係がうまくいかず世間に嫌われている。二人は富裕な勝者ではないが、われわれ以上に脳を壊した勝者たちが動かすこの地球はきっとろくなことにはならないだろう。

×

非ログインユーザーとして返信する