大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

        消える、生存権
第二次世界大戦、これのリングに上がらなかった、弱小国家たちの領土が破壊と殺戮で混沌としている。いまイエメンの記事を読んだところだ。
世界大戦などと大袈裟にいうが、私には、あれは幼稚にすぎない。戦後あちこちでやった軍事行動、これの意味がわからない。
米国が大日本帝国にばら撒いた20万トン足らずの爆弾は終戦を急ごうとするそれだった。おなじ国土の面積をもつヴェトナムに使ったのは1400万トンになる。そんな爆弾量で何をやろうとしたのか理解できない。その爆薬で数十万人が肉体をバラバラにされ死体もでてこなかった。これが目的でなかったのは判るが本当の意味がわからない、
いまロシアが似たような事をやっている。なにかを破壊しているのはわかるが、多くの人命が失われているのも事実である。まさか人間を皆殺しにしようとしているのではないだろうな。米国なら理解できそうである。


前の世界大戦というのは目的がわかりやすい。どの国家も戦争を終わらせるために総力を使った。それを始めたのも勝利と敗北をはっきりさせたいためだった。これを得るために皆殺しという戦略は必要なかった。


いま世界でやっているのはそうではない。生きるためにできた高度な考えが双方にありこれは決して和解できないものである。そんなのは、世界大戦をやっていた頃にはなかった。イエメンでやっている事は双方に相反する高度な知能があり共存するのはむつかしい。


こうなると相手の生存権を奪うしかない。生きるのに必要な地上にあるすべての物を破壊するか直接命を狙うか、この二つの選択しかなくなる。アレッポでやったのもそうだった。朝鮮半島でもおなじ事が起きた。物凄い数の人間が南北へと逃げ惑った。いまウクライナでは民間の人たちは国外へ逃げ出されている。また、あれだけ破壊されたのでは国に戻っても生活はできない。国土を無人の荒地にするのと、全人口の皆殺し、どっちでもいいからと好きにやっているのだろうか。


前の世界大戦は相手の生存権のすべてを奪うという残忍さはなかった。いま世界でやっているのは人間最終戦争としか思えない。

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