大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

       若い、脳みそ、たち
ブログの、一つの記事に唸った。そこにある言葉と写真から数分間立ち止まり脳を回転させようとしたが空回りになった。こういう事は人生初かもしれない。いろいろと本は読んだが、ここ10何年間はそれもしていない。そのせいでもなかろうが、一文に脳がおどろかされそれに応じる知性がないのを知った。
(地上から風を盗んでも本当に平気なのでしょうか)
この言葉の上に、小高い丘にズラリとならぶ風力発電の写真があった。すぐに思いついたのは丘にいつものような風が当たらんではないかとこれだった。そこにある植物たちはどうなるのだ、と、またもや人間の仕業に腹を立てることになった。
こんなのを自然エネルギーと言うらしいが、これは、よく考えると自然の浸食ではなかろうか。人間が地球で生きているとなんでもかんでも皆こんなことになる。
太陽熱発電のパネルの下も日の当たらない地面となり、そこで毒でも発生させているのではないのかと疑ってしまう。
こんなのを自然浸食エネルギーと呼ぶのが正しいのかもしれんな。


自分に思い付かない考え方がブログにあり勉強不足を知る。しかし、学ばなくなった。脳にこびり付いた賞味期限の切れたものを偉そうに書いているだけである。このパターンで国を動かす老人たちばかりだから、自然エネルギー発電のことも無害となるのだろうな。


(風を自然から横取りする危険性)こう考えることのできる、若く新しい脳みそたちが形成する人間社会を見てみたいと思うがその時間はない。
だが、私の、劣化した脳みそはそんな時代など来ないと、こう考えてしまう。では来なければどうなるのか、それは若い脳みそたちが考えたらよろしい。

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