大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

         母と娘と妻
スタートからここ迄、人生は気の重いものになった。これは望んだのでなく運が悪かったのでもない。持って生まれた血がそうさせた。その血と違う生き方に誘うものも多くあったが理由もなくそれらを拒否した。


気が重かった一番目は母親の死であったろう。次に、離婚で娘を傷つけたことである。いま三番目に、6年余にわたる妻との、その私の愛情生活をやっている。一割か二割だけ届く愛情に苦しめられている。これに加え妻は勝手に死にむかおうとする。


人生で気が重いのは、この三つの出来事だけである。あと、何があったのか、そんなものは気にもかけてない。これらのことについて後悔や反省などまったくない。


なぜ、三回だけなのだろう。その三人には特別な愛情を示したのでない。だが、私の心のなかには三人しかいない。
この三人との触れ合いは私の全人生に浸透した。この浸食だけで人生はすべて水に浸かった。溺死はせなんだが息苦しい人生になった。


何が起きているのかその都度文章にしてきた。読み返すことはやらないが、そこに一貫性があるのは間違いない。
「そうか地獄かあ、ええから、なんでも来い」
小学生はこうスタートした。


それでも三回だけ、私は苦しむということを知った。そのため全人生がそうなった。
この血によく似合った生き方になった。満足などしてないが、この三人とも会わずにすむ人生だったなら、と、ふと考えるときもある。
そうであれば、もっと冷酷な人生になっていたであろう。

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