大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

    



           


           生きている、幽霊   
また激怒した。同じことを言うのに自分でバカらしいと思っている。以前訪問看護というのに怒鳴りつけたことがある。今回も似たようなものである。あの時、もう来るな、と、やったのだがまだ来ていた。
「3月15日以降にお前ら来ているか」
「はい」


24日に限度を感じ救急車で妻を運ばそうとした。15日から危険な失神を連続してやっていた。17日に、訪問医療へなんとかならんかと電話する。バカ医者はわけわからん回答をする。失神を引き起こす薬剤に変えたのかと訊くが、なにか、うやむやとやっていた。
いつもの事ながら、死ぬことの回避はこの家でしなければならなかった。
24日に電話したのは救急車で搬送させようとして、行き先は訪問医療のところでもいいのか、と、これを訊くためだった。どうせ、うやむやとしか言わんから、行き先は私で救急隊員に指示する。
「明日行きますから」
訪問医療の女はそういう。
「そうか、生きとれば来い」
私はこう言って電話をおいた。


24日の夕刻、妻が変化をみせた。危険な脳が回復しようとしている。これまで何百回もそれを見ている。明日来ると言う訪問医療は好きにさせておき、救急車を呼ぶのは少し様子をみることにした。
「パパ、お早う」
翌25日朝、妻はこう挨拶した。以前救急搬送で入院させたそこで数日後に、あっパパ、とやったあれと似たようなものだ。あのまま廃人になると覚悟していたが妻は自分で復活した。


今日26日、さきほど、
「15日からの妻は、危険な失神をやっていると、お前らにワシは伝えた」
「・・・・・」
返事もしない。
「お前らに助けてくれと言ったおぼえは一回もない」
私の日本語が理解できないのか返事もせん。
「お前ら、ここに、何を見にきとんなら」


24日の、私からの電話で訪問医療は訪問看護はきいた。15日からの私の妻は普通にしゃべっているとそう報告をしている。そのとき妻は生きている幽霊になり、私の問いかけに返事もできなくなっていた。

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