大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

            未熟な心
60何年がたち知ったことがある。これまで気付かなかったとはなさけない。いい加減で思い付きの真剣みのない文章を書いていたらしいが、そうでもなく、そこにある世界を知らなかったのである。
この文章世界は母の死んだあの場所にあった。母のことでなく、あの光景がこれを作っていたのだ。
あの、小学生時代の、一回だけの風景、これが文章を作っていたのだ。だれに学ばずとも書いてきた。


ふと、これを思った。隣で寝ている妻のことを考えているときに知った。


進歩もせず六十数年やってきたと思う。それでいい、なにかの学問なら勉強も必要だろうが、書くことにそれはいらない。


あの光景を表現するのに上達というのはない。だが、あそこで起きたことを年齢の積重ねによりあらたに知るということはある。


「ヒロユキ、ヒロユキ」と呼ぶ母の声は何を求めていたのだろうか。死んでいく者の子供への愛着だったか、その子供に助けてくれと言っていたのか、こう考えるだけで光景はちがってくる。


古くなった過去だが、いつかは正解をださねばならんな。
私の未熟な心では書けんかもしれんな


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