大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

           心の金庫
作品に愛とか心は書きたくない。なぜなら、それは蜃気楼か幻しのようなもので文章もぼやけてしまう。
昨日、娘の来訪に同行した男性に言った。
「爽やかなインテリで素晴らしい男性のようで、娘も愛しているらしく、別れんようにしてくださいね」
だが、どんな愛情も、私は信じてない。
「愛情というのを確かなものにする方法はありますよ」
と、私は言った。
「なにですか」
きのう、この人は長い時間、誠意をもって私を相手にしてくれた。


愛してる側がその愛情を自分の心の金庫にいれ鍵をかければよいのである。その鍵は、愛されている人間が持っていればよい。そうすれば心変わりも自分からはできないだろう。


私は妻になってくれるかも知れない女性に会うために約6年前に北海道・帯広へ行った。
その人の心身の壊れ具合はメールで教えてもらっていた。だが、帯広の福祉課のオバちゃんはご親切だった。
「やめたほうがいいですよ、考え直したら」
とか言っていた。
オバちゃんは知っていた。そんなのと夫婦になると、とてもやっていけない、これを私に教えようとしていた。ムラムラと殺意がわき起っていたが阿保らしいからやめた。命かけてメールで愛したのに、そしたらお前らも命がけでものを言ってこい、と、私特有の変な理論かもしれないが噴火しそうになった。


多くの女性との別離を繰り返した人生であったが、私は心置き場所というのを知らなかった。
心の金庫に入れる、私のいい加減かもしれないその愛情を、このカギは相手の女性が持っていればその人を悲しむこともなかったろう。
小学生でもわかる簡単な事が私にはわからなかった。七十数年になりやっと中学生になれたか、日々絶望をみせる妻であるが、私はこれに寄り添おうと思う。まだ6年前の信念は消えてなさそうである。

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