随筆「薄夜」
母と妻と娘
昨日の娘の来訪で一つ母子ができた。(また来ますね)、娘はその言葉を妻に残し帰っていった。この出会いで二人は感涙にむせっていた。私は嬉しかった。本物の母子になってくれと二人にそうお願した。戸籍上は母子になるが、どうやらこの二人は、それ以上の関係になりそうな気がする。
そばで二人を見ていたら私の母親がでてきた。小学生のとき2年間の生き地獄のなか死んででいっていった母親が二人と重なり合う。
きのう、娘の、(天涯孤独だった)と吐き出した、その言葉にうちのめされた。妻がときおり言う(こんなのだったら死んだほうがいい)これにもそうなる。この妻はさっきまた危険な失神をした。そんな娘や妻をみるのはつらい。
(生きるのは地獄を行くようなものだ)、私が小学生のときに決めた生き方だった。そのような人生になった。人からは、自由勝手で贅沢にやっているではないか、と、こう思われていた。本人はそうではないのだが、こう映るのもやむを得んところであったろう。
そんな私に映るのは人の苦しむ姿である。しかも、母親と妻と娘、この大事な三人がみせている。これに癒す言葉もなくただ沈黙をする。じっと見ているだけである。
(そうか地獄か、それなら、なんぼでも来い)と、人生を始めた。
しかし、大切な人たちがそんな生き方になっていると、私の心は粉々にされる。それも地獄の一つであることは知っているがこれに耐えるのはむつかしい。