大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

         橋の下


昨日、20年ぶりくらいになる、娘がやって来て(天涯孤独な人生だった)と、そう言っていた。犯人は私である。これの母親と離婚したのも私のせいだ。その後に多くの女性と生活し娘は自分が無視されているとそう考えたのも当然のことである。これの口から(知らなかった)との言葉も出て涙ぐんでいた。いくら父親だといっても娘には知ることのできない人の人生もある。知らないまま私が死んだら娘の今後も重い荷を背負う人生になると思い、この機会にできるだけ話してやろうと考えていた。6時間ほどいたのでかなり話せた。同行の男性にも私の人生を遠慮なく説明した。娘に聞かせてやるためそうした。男同士の会話のなかでしか知れない事もある。
だが、娘に教えることはなんにもない。ただ生きることの現実を知るのは知らないよりいい。(場違いの結婚、子への責任、それらは全部私の人生ではやってはいけないことだった)
と説明した。なんでそんな父親なのか、これも知らなかったものの一つだろう。
とにかく知らないでは子は親を理解できない。そうかと言って娘に自慢できるものなど一つもない。


(人生は橋の下で凍死しか餓死するようなものである)、これが生きる目的であった。そんな父親など理解する必要もない。なぜそんな生き方をするのかこれも説明した。また、この人生にはまともになるチャンスがいくらもあったというそれも話した。私はそのすべてを拒否したことも言った。そのなかには総理大臣などのところからも誘いがあった。


橋の下で何をやろうとしていたかも話した。しかし、すべては娘に無縁なそれだった。
親子でありながら、無縁とは、私の罪は償うどころのものでない。

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