大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」


「明美さんをよろしくお願しますね」
私はおどろいた。訪問看護の若い美人が帰るときこう言った。この人はもうすぐ新しい道をめざし来なくなるようだ。
昨日、妻はまた失神した。そのあとに訪問看護があった。頭がいたく苦しいのだろう妻はベットから出ようとしない。
「そっちへ行ってもいいですか」
若い美人は私を押しよけ妻のそばへ行く。私は台所の部屋へ逃げた。何分かたち覗いてみると妻はベットに腰かけていた。妻からみれば孫のような年頃なのに、いつも二人はよく話し込んでいる。


壁のない不思議な世界である。私はほとんど妻と会話しない。壁など作っているわけでないがこうなっている。原因は、私にあり知っている。
私は、この心だけの世界、それを本に書かない。結論のない文章になるからだ。人間の大きな悲しみを発生から終いまで本にする。天災であっても人為的巨大悲劇だろうと、そこにある人間の心というのをあまり書かない。ただ・・・
「かみさま、妻をたのむぞうー」
これは、終戦直後の、まだ震度階7もなかった福井大地震で、新婚の妻をうしなった魚類学者が遺骨をだき、船上から日本海へむけ号泣する場面を私も泣きながら書いたものだ。
私にも心があり、たまに、作品にそれをはさみ、そこの文章をいま思い出しても涙がでてくる。


たまにしか出ないから、妻との会話もすくない。
もしも妻をうしなうことにでもなれば大号泣するのに、本に、たまにでなく、もっと人の心を書けばよいのにとそう思う。

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