大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

                                  別離(その五)
命に危険な眠り、夫婦生活はずっとこれの連続であった。帯広時代もそうだっただろう。ヘルパーの婦人たちもそう言っていた。この人たちは、妻が何才のときからこれを始めたのか知らない。三十頃に精神科で初診を受けたというのは妻に言わせている。
「小学生の頃はどうだった」
私はこれも尋ねた。
「わからない」
「そうか」
これで過去の探索はやめた。知ってどうなるものでもない。だが、なにか後天的な要素で精神が障害を受けたのであればこれは知らなければならない。元の亭主が加害の犯人なら復讐もしなければならない。
妻の過去は一応洗ったが、どうも、そんなのはなさそうである。


妻は東京での暮らしでもこれの連続であった。解かっていたから、覚悟はでき、妻を静かにながめた。
二年目だったか、ついに救急車で運んだ。死ぬにせよ生きているのにしろ、もう駄目かと思った。入院した妻になんの反応もなかった。声かけても返事がない。
この危険な眠りを、私は、長い首つりと名付けていた。死ぬか脳が壊されるか、その二つしかないと思っていた。
「あっ、パパ」
大事でかわいい妻が三日目か四日でこの声をだした。
「おい、帰るぞ」
「うん」
「途中で、いつもの寿司屋にいくぞ」
「はい」
二人でビールを何本も飲み、うまい寿司を喰った。


眠っているので毎日の買い物は私が行く。帰ってみると妻が台所で倒れていた。死んだかと思い確かめてみた。これも、よくやる。なんだろうと推理する。バカ医者にもたずねてみたが下を向いているだけだ。そんなバカ相手にしているヒマはないから医学書をひらいてみる。正解はみつからんが帯広でやった癲癇の発作、あれと同じの脳内神経の電気ショートではなかろうかと不明確な結論をだしてみた。

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