大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

                                別離(その四)
総合病院でいろいろ診させたが最初から当てにしてない。ただ、脊椎はどうや、妻のここだけは気になっていた。斜頸で生まれた、これを聞いていたからだ。きれいですよ、整形外科の医師は言った。
「そうか」
これ以外の質問はない。精神科というのは占いのようものだ、との、認識を持っている。妻の脳から起きる異変の解明はこれで終わる。私からそうしたようなものだ。
待合室で人工関節のチラシが置いてあった。この病院はそれの手術が得意らしい。東京に連れて行ってそこでやろうと考えていたが、妻は、ここからの痛みで毎日のたうちまわっていた。
「先生、人工関節をやってくれるか」
「わかりました、検査から始めましょう」
結果は両足のそこの軟骨は粉々に破壊され歩行どころでなかった。
「これでよく生活をやっていましたね」
「うむ、この土地ではどいつも、女房を気にかけんかったらしい」
トイレに這って行っていた。ベットに横になっていても痛い痛いとかわいそうな声を出している。これを婚前メールでも知っていたので最初は人工関節からやろうと決めていた。1本目は帯広でもいいだろう、すぐに退院でき歩くのもむつかしくなさそうである。次は間をおいて東京でやる。一日でも早く地獄から救ってやりたかった。


7年前の5月くらいから始まった婚前メールで、10月に帯広へ迎えに行き、やっと12月から東京での夫婦生活が始められた。取り敢えず精神科の病院を探した。それはつまらん儀式のようなもので、私は脳神経科で精密検査をやらせてみたかった。帯広で20年前に精神科の初診を受けている。この診断書がそこの病院に保存されていた。これを東京に送らせた。ここにも「鬱病は疑わしい」と、私の読みと似たようなものが書かれていた。帯広の総合病院でもその疑問で検査やらせたが医者はなんの返答もできなかった。それはそれとして東京の一流専門病院で脳機能の結論を出させてみたかった。
一緒に暮らす妻の日常に鬱病などの異変はない。頭もよく、私とのむつかしい会話にも付いてくる。脳の血流と神経伝達、これがなんらかの理由で故障しているのでは、と、深い疑問が私にあった。妻の脳をさわったバカ医者たちはこの疑問から逃げるだけだ。


ある日、私と同意見の医師と遭遇した。この人が、一流の脳神経外科への紹介状を書いてくれた。ところが、その予約した診察日に、妻は、命の危険がある危険な眠りをはじめてしまった。

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