大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

          作品「神曲」3部作
これは、もう10年前になるのか、2年近くかかり書き上げたものだ。日米戦争を舞台にしたがある意味では科学雑誌のようなものだった。その理由は原子爆弾という物を書いたからだ。この兵器は苦心して発明されたがそれにはあまり重心を置かなかった。


神曲という題名にしたのは原爆というのが奏でる轟音が神の音楽と似ているのではないかと想像したからであろう。人間嫌いの私の信仰とはそんなものである。


あの本は日米開戦からキューバ危機まで書いたが、そこにも核兵器という絶滅の自殺道具があり、自分なりに人間の本質を書かしてもらった。
今日、ウクライナでその絶滅兵器を持つ国家たちが危険なゲームをやっているようだが、これらの自制心などまったく信用していない。
トルーマンは広島長崎に落とした原爆を「あれは通常爆弾の延長線上にあるものだ」とか言ったらしいが、あの程度が人間の本質なようだ。


昭和40年代末期には全人類を何十回か何百回かを殺せる核兵器を保有していた。それだけ持たなければ戦争に負けるからという理屈だろう。
作品の中で、その主人公である滝田公二郎という帝国陸軍中佐にこう言わしている。「いいから、撃ってみろ」、中佐は帝国陸軍で原爆開発をしていた中心人物でソ連フルシチョフにキューバ危機のときにこの言葉を伝えた。米国大統領へそう言えとやっているのだ。核戦争がなにを招くか知ってやっていた。


私はよく西空をみる。そこの東京上空で水爆の白光が炸裂するのを想像する。ボロアパートには妻と二人の生活がつつましく過ぎていく。なんの権利があってそれを核兵器で溶かすのか考えてみるが、人間への憎しみしか残らない。
子供のころ、広島の原爆ドームでよく遊んだが憎しみなどなかった。大人になり賢くなり人間の本質も知るようになったが、そこには人類の自滅しかみえない。この高度な文明を自慢するがこれも自爆するようにしか思えない。

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