大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

          絶望
きのうも予算委員会というやつでの議論が国営放送で中継されていた。ある野党の追及で、この国には有ると思えない現実を政府が弁明をしていた。それを見ている国民もやっている与野党も、ウクライナなどの事件があちこちで勃発すると、いつか、地球が溶かされる要因につながるかもしれない。そんなのは夢にも思ってないだろう。それだから、あんなのは口先比べの議論にしかみえない。


では、悲観論というのではないが、現実にロシアのやっている事が絶滅戦争をまねくとしたら、こんどはどんな話し合いをするのだろうか。国会議員たちがどこかの居酒屋か料亭で真顔でそれをやっているかもしれないがテレビ中継でもやってくださいよ。


あれのことは放うといって、国民は真実を知らなければならない。それの生命財産は守らなければならないとの宣伝文句はよく耳にしていると思うが、この核の時代に何をすれば自分やそれより大切な命が守れるのだろうか。原水爆禁止という運動に深い関心を持つのも良いと思う。参政権を有効に使いあらゆる絶滅兵器は持たさないと、そんな国家を作るのも良いだろう。


キチガイどもはやるかもしれない。


私は西の空をみる癖がある。そこで水爆が破裂する空想はながねん頭からはなれない。キューバ危機を作品にするとき「いいから撃ってみろ」とやった。なんであんな文章を書いたのだろうか。米ソが保有する数万発の核兵器を爆発させればどうなるか知っているのにやってしまった。あれは絶滅を願ったのではない。人間たちが総意で造ったその国家という物は、これでもかこれではまだ足りてないと、あの時代は夢中で多量の核兵器を製造していた。その姿に絶望したからあの文章になった。間違いだとは知っていたがどうしようもなかった。

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