随筆「薄夜」
戦場の狂気
ああ言えばこう言える、小器用な脳みそはこんな社会をつくった。いまロシアのやっている事はそんな口先ゲームでなく、あそこでは人間が殺し合っているのである。小銃の銃弾で人を殺そうとする戦場に行ったことがある。言葉でなく音だけが口から出ていた。
人間は言葉で話すからこんな社会が作れた。文字も書き、法律は人を殺してはならないと表している。こうして体裁のいいことはやれる。それは悪いことではない。
だが、いま、よその土地で起きている殺し合いに関してはいつもの言葉で世界の政府たちはコメントしている。
その言葉には甘い平和というのしかないのに戦争を語る。聞いていて首をかしげる。
大日本帝国に大本営発表というのがあった。あれだけの戦争をやっている最中なのに現実を知らさないそれだった。これはどこの国も一緒だろう。
戦争というのは語るのにむつかしい。そこにある理由がはっきりしないからだ。人を殺しても良いという理屈も無く戦争という説明はやりにくい。
戦争の善悪をみつけたとしても、それは真実でないかもしれない。破壊や殺戮は狂った考えがなければできない。狂人たちに真実はない。
戦争に踏み切る国家の信念は立派かもしれないが、戦場にある現実はそれとは別なものである。人間が得意とする口先だけで戦争のない平和な社会は作ってもらいたいものだ。