大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

        
        ゆれる水魁
この世の中に不安が拡がる。なにやら得体の知れない不安定感にゆさぶられる。経済軍事と核を加えたそれらの絶望がひろがる。
ウクライナの件で世界は四つに区分されたように見えるがそうではない。


小学生のときヒロシマ原爆ドームの前の川で潜ったことがある。あの頃、水質は素晴らしく水中はどこまても透き通り先の先まで見えた。なんのせいか知らんが水中に透明なゼリーの塊が点々とでき視界がそれに遮られた。人間の頭から胸まである大きさだった。恐怖はなかったがなんだろかとじっと見つめた。後年思ったのは、あれは人の霊魂ではなかろうかと。
これは事実である。


いま視界に、あれがときおりうかぶ。あのゼリー状のものが米国・ロシア、中国・EUの大きさになって四つ見える。なぜその形になったかは知らない。私の脳がモヤモヤになったせいか、この現象にとらわれ、いま物を考えるのが面倒になっている。


作品ではこんな場面をいくつも丁寧に書いている。ロマンチックにみえる悲しい文章であった。「原爆の夜、川に灯篭がながされその灯は下流にも行かず何かを追いクルクルと回っていた」「元安川に飛び込んだ人間たちまで上流をめざし川底を歩いていく」、小学生のときこの川を夜なんども向こう岸まで泳いだ。怖かったのを憶えている。


あつい夏、川岸に柳がゆれ
夜、死んだ者の数だけ灯がながされる
いくつもの川がながれ
死者だけの美しい町だった


ヒロシマのことをそう書いたのもあの頃だったか。授業中、小学校の窓から空をみながら書いたのだろう。そこの地下には被爆した机や椅子黒板などがまだ捨てられたままだった。

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