随筆「薄夜」
歴史の闇
ウクライナ人はなにかの犠牲にされたのではないかと、そう考える人間が世界に何人かはいるかもしれない。その正解は事後に判明するだろう。これは突如起きたものではないからだ。外交かなんか知らんがあれだけ時間があれば事前にこれは防げただろう。
ドイツのポーランド侵攻を考える。これも突如でなく英国やフランスなどは警戒していた。そこにも長い時間はあった。
いまのロシアもドイツのように外国に圧迫されていたのだろうか。NATOという英語の頭文字のそれに圧力をかけられていたか、こうでなければあんなのはやらない。
ドイツにこれをやる決断は長い時間があった。独ソ不可侵条約をやぶりモスクワまで行く通り道だったのかも知れないが、長い時間は、そのあとどうなるのかを考えるに足りている。
なにを考えたのか知らんが第二次世界大戦になった。
クレムリンにも長い時間はあった。かつてのドイツのように、まさかパリまで行こうとしているわけではなかろう。
戦争の開始を決断する、大日本帝国では御前会議だったが、クレムリンでやったのはなんの会議であったのだろうか。日本の、あれの出席メンバーはもう知れているがロシアの決断はどんなメンバーで何により為されたのか、第三次世界大戦にならない限りこれもいつか解かるだろう。こんな日が来ればあそこもまともな国になる。あそこがこれを歴史の闇というのにすればいつまでも絶滅危機からは逃れられられない。