大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

            巨大悲劇
この言葉を使い始めたのはいつからなのだろうか。おそらく10年以上前から作品を書きだした頃だったと思う。あれでは過去に起きた多くの人命をうしなったさまざまの出来事を書いた。その出来事たちが巨大悲劇だったと私の作品は言ってない。そんな事をやると新聞記者になってしまう。文学とは人を書くものであり、新聞記事とは事件を映像や文字で報道する。そこにある人間性などを報道していたら公正でなくなる。
また、いまやっているウクライナの侵攻などはそう簡単に加害被害の判断ができるものではない。戦争などそういうものだ。切羽詰まった問題はどちらにもありどれが正しいのか、これは当事国の全人口に聞いてみなければ判らない。他人の土地に侵入し強盗殺人をやるのなら害を加えたのがどちらかはすぐに判るが、ロシアの全人口がその犯人になることはない。ヒトラーというのを取り上げればあの戦争も簡単だが、そんな単純な誤りをやってはならない。他人の土地に強盗に行くのにドイツ人が賛成する筈がない。


大日本帝国が中国満州にインチキ国家を作った。あそこで数十万かの日本人が行き農業とかをはじめた。インチキだと判っていればそんな土地へ行く馬鹿はいない。また、これが犯罪行為だとすると満州国という大規模な計らいは成功しなかった。私はこれがインチキだったかどうかの歴史判定にまったく興味はない。ただ馬鹿げたことだと思っている。


満州国からもどこからも全日本人は撤退せい、と、米国の言うこの注文も非現実的なもので、あの当時、侵略も交易もせずに生きていける先進国は一つもなかった。だれもやれん注文がありそれがやれ深い事情もありそれで戦争が起きる。いまある戦争や紛争、内乱はこうなっている。人間がつくる歴史とはいつもこの状態にある。このことを巨大悲劇だと言っているのだ。


一般的に悲劇とは始まりがあり終わりがある。暗雲がされば平和のひとときもが来る。一つの出来事ならそれで済むだろうが、人間はまだ終わりのない、いまも続く昔からの出来事の最中である。それが終われば永久平和がやって来るが、それが誰のものなのかはわからない。

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