大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

「随筆」薄夜

      前書き
前もこのブログで世話になった。あれから、どれくらいの時間がたったかわからない。
いま、なにから何を書こうとしているのかわからないが、この命が尽きるまで何かを書いていようとするそんな気がしてやっている。書く本能が強いのかそうなっているようだ。
なんの役にも立ちもしない言葉が脳みそに次ぎ次ぎあらわれる。これも本能であろう。


当然ながら七十三の老人には過去の出来事が夢にもよく出てくる。しかし、それには苦しめられない。目がさめればそんな物相手にしない。
また、これからの事にも左右されない。


今の生活にも、妻と六年の歳月がながれたが、それにも、ただ時間だけが流れ去ったようで過ぎたものとしてそんなに重いものでなくなった。
だから日々の暮らしについても書くことはない。枯れてしまったのかも知れないが文章はでてくる。


これまで書いてない過去の出来事も鮮明に文章に出てくるが、これは書くことにためらう物であり簡単にはやれない。
古い昔の日米戦争はやれたがこの事はそうもいかないようだ。
また、過去の事を書く労力は作品「神曲」で使い果たしもうなくなっている。が、これは今の世界にも影響を与えるかもしれない。


なにやかや頭に文章が飛びかうが整理しながらこのブログを使えたらよいと思う。


                      文学者  櫛田一男

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