大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

           妻
巨大悲劇を書くというのが執筆スタイルである。なにが目的でやっているのか明確な返事はできない。人類に警鐘ならすなどと考えたこともない。物語を面白くしようする発想などやる必要もない。文筆で飯を喰っているのではないからだ。


一言でいえばそれを書いていると落ち着くからだ。なぜか文章からあらゆるものが消え自分もそうなる。


大きな悲しみというのは戦争のときよくある。戦史を調べるのはそのためだ。天災も戦争に近いが人間のやる仕業でないのであまり面白くないが宇宙物理の専門書はよく読んだ。登場人物の悲劇に戦後の「福井地震」、このあいだの「東北津波」などを使ったことがある。最後に書いた作品では地軸が秒速何千キロで動くという空想も取り入れた。そんなことになったら地表はどうなるか、これもできるだけ学術的に書いている。
作品は『十字路』3部作であったがこれで物語を書くのはやめた。2年余の悪戦苦闘であった。


書いている巨大悲劇のなかで人間が死んでいる。それら人物描写には丁寧に取り組む。理由は簡単である。その人間たちは社会にいる普通の人たちなのである。懸命に働き素直に人を愛しながら生きている、そんな心が好きだからこれは丁寧に書く。馬鹿げたドラマにあるように南極や宇宙などに行って死んだのではない。これらは普通の日常を一生懸命いきた美しい人たちなのだ。


自分で書きながら美しい人間とはなんだろうか、と、これを作品の中で勝手につくる。そうなると登場人物の女性たちはますます美しいくなり、これを書きながら涙があふれたときもある。現実社会ではそんなことはやらないが、ただ、そばで生きている妻の心がときおり見えその美しさに隠れて泣くこともある。

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