大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

           消えない罪
起きてみたら一人娘からメールが入っていた。七年ぶりだった。おなじ東京にいるのに最後会ったのは二十年前くらいだ。親子でもこれでいい。いがみあってそうしているのでないからこんなものである。肉親が寄り合っていきているのは重要なことでない。


娘は用件を書いてないが、なんかでふと、親を思い出したのかもしれないな。しかし、七年もたてば生きているかどうかも判らないだろう。私の返信メールには「生きていたのか」と書いた。どうやら親子は生きていたようだ。


「簡単に死ぬなよ、われわれ夫婦もそうしている」、これも書いた。まるでウクライナのようなものだ。「いたらぬ父親だが、私のそばで死なずに育ったのは幸運だった」、こうも言った。娘には判らない父親であろう。


この娘は最初に結婚して生まれた、これ一人だけの我が子であった。離婚で妻が連れて行ったが、引き取り、それからは私が育てた。子供は幼稚園の年頃だったから親が何やっているのか知っていたろう。このことだけでも娘にあたえた悲しみと苦しみが人生から消えるものでないと思っている。私も愚かさに苦しむそんな人生になった。
人生には消すものと消える過去があるが、許されないものは一生の罪になり謝罪はできない。


人生では許されないことも多くやった。それらは消したり消えたりしていった。離婚直後、娘への罪で自分は生きる価値もない人間だとそう思った。
いつ死んでもいい、これは小学生のときそうなった。あれは本から学んだが、娘が教えてくれたものはそれとは違うものだった。

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