大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

           別離  その(一)


一つの夫婦生活を始めるのに大変だった。グーグルのページで出会った、いまの妻だが結婚の許諾はすんなりくれた。しかしメールでのやり取りであったから会ってみるまでどうなるかわからなかった。北海道の初冬、飛行機で帯広空港におりた。住所はグーグルマップで調べていたのでそこの近くでタクシーを停めさせた。この機能はアパートの場所まで提示してくれるので私は部屋の前まで行けた。
「あっ、パパ」
窓の外を歩く私を見つけたのだろう。部屋から声をかけられた。とても初対面とは思われないものだった。
私も遠慮する年齢でもないので、この人が何かを取りに行った物置のような奥の部屋で抱きしめ唇をあわせた。
アパートの玄関で「あんた何しにきたのよう」と、そう言われれば駅前のビジネスホテルに一泊し翌日の飛行機で東京に帰ればいいだけだ。こう思いなんのホテルがあるのか目でそれはチェックしていた。


男女の結び付きというのは何回もやっていたのでオーバーなものと考えてない。そのあとの別離というものはいつも悲しくて辛いものであった。
この別離というのを、七年目の結婚生活に数回味わったがこれは(そのニ)で書く。


結婚生活をスタートさせるこの部分はすんなりいったが別なものには苦労した。
入籍してから帯広市の福祉課に出向いた。亭主という立場で乗り込んだ。そこの担当は普通のオバサンだった。
「おい、ここは人間の命はどうでもいいのか」
「なんですか」
帯広のボロアパートで一人生きてきた妻の、これまでの人生は分析し把握していた。死んでいくのは簡単なことだが生きようとする意志、これを誰も助けないようとしてない、そう思えた。
「おい、生きているから福祉というのがいるんだろう」
「はい」
「生きていれば、なんでもいいんかい」
「・・・」
こういう議論になれば沈黙しかない。私は解かってやっていた。
医学も手の届かない妻の命、そうかも知れない、私も専門書で学問していた。
だがバカ医者たちがやれない、人の心をさわる、この芸当ができるもの、私はそうしようと思い、この人の亭主になった。

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