大事にされなかった生き方、大切に守られる女

世間のどこにでもある女の人生、泣き笑いしながらのそれを書く

随筆、詩を書こうと思います。
大事にされなかった人生、大切に守られているいまの人生、明日はわからないけれど、それを書くこの作品は残そうと思います。

随筆「薄夜」

           サル
人を笑わせる文章があることは知らない。そんなのがあっても使い方がわからない。そもそも笑うというのは人生に必要なかった。小学生のときヒロシマ原爆スラムにいたが笑いなどなくても楽しい生活だった。親は子供に着せる服もまともに買えない状態だったと思う。麦にコメをいれ飯が作れる日もあったようだが麦だけの飯の日ばかりだった。その麦も買うのにも大変だったろう。子供が四人もいたから餓死ささないようにするだけで死にもの狂い毎日であったろう。


子供のなかで一番私がたくましかった。家で母の作る食事を当てにしなかった。小学校には給食というのがあったが出してくれるから喰う、こんな感じだった。それでも日々空腹だったことに間違いない。これをなんとかするのに空き瓶やくず鉄ひろいに頑張った。空き瓶はスラムに隣接したそこに野球球団広島カープが使う球場があった。観客が足元に置いていった空き瓶を、高い石垣づくりの塀をよじ登り盗みにはいる。これに縄張り争いというのがありよその町から来る子供たちと抗争なる。うちの子供たちには改造鉄砲をもたせその権利を死守させたことがある。鉄屑は原爆が破壊した町だからそこらぢゅうにあった。ひき潮で鉄をひろいに太田川にはいると人骨もあった。


冬になると家に暖房器具などないから空き地で焚火をした。屑ひろいで得た金でサツマイモを買い焼き芋をみんなで食べた。子供たちは笑顔でいっぱいになった。


この笑い声と、いま、近くの小学校から聞こえてくるそれはまったく違う。サルのようなものがはしゃぐ、人間の喜怒哀楽をあらわすそれでない。大人までがそうしているのはバカTⅤ局や品物を売ろうとする企業CMなどがこれに貢献している。むかし、だれかが一億総白痴と言ったことがある。

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